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トランスフォーマー

映画:トランスフォーマー

結構前に録画していた映画「トランスフォーマー」と「トランスフォーマー リベンジ」を観ました。こういう明らかに「正義と悪が戦って正義が勝つ」というような単調な話は「つまらない」と決めつけ、普段好き好んで観なかった僕ですが。今回の「トランスフォーマー」シリーズは気持ちよく観れた気がします。子供の頃にあった「流行りの映画は逆に観ない」という反骨心も今は無く。素直に見れるようになりました。

この映画の何が面白かったというと、やはりストーリーではなく、「登場するトランスフォーマー達の動きやギミックに感動を覚えた」ということになります。ロボット生命体である「トランスフォーマー」達が活躍するこの映画ですが、その一体一体が凝っていて、最後まで見ていて飽きない映画でした。

こういうところが好きなのは、僕が「男」だからで、御多分に洩れず「スターウォーズ」シリーズなんかが好きなのも同じ理由だと思います。ライトセーバーやフォースを駆使するアクションを痛快だと思い。ダースベイダーの誕生秘話という王道展開に胸が高鳴る訳です。男は本能的に争いの中に身を置きたがるもので、武器や争いに勝つという事を好みます。しかもそこに美学も求める。だから銃も好きだし、日本刀なんかは美しいとさえ思う。車が好きだったりするのは何だろうね? 自尊心を満たしてくれる存在だからでしょうか? 競争のイメージが無くもないし。でも確実にその部類である事は間違いないと思います。

だら「トランスフォーマー」は人気で、僕も子供の頃は好きだった時期もあります。大人になってカッコいいと思った事は無かったのですが、今回の映画ではその人気が脈々と受け継がれてきたものだということを感じました。同様に「マーベル・コミック」などの所謂「アメコミ」が人気なのも、子供の心を忘れない男たちがアツい想いを絶えずぶつけてきたから何だと思います。子供の頃は「昔のままのオモチャやコミック」がそこまで支持されるのはなんでだろう。と不思議に思ったりもしましたが、これを日本のガンダム等に置き換えて考えてみると何ら変わらない事に気付きます。

ハリウッド映画は、その殆どが"王道展開"のテンプレ通りにできていると思うのですが、それでも求められるし作り続けられる。「毎年毎年地球滅亡の危機が訪れてよく飽きないな」というのが正直な感想でしたが、それはアメリカ人がそれを求めているからという事なんだと思います。その根源がなんなのかは分かりませんが。

そしてそんなハリウッド映画の中には良い作品も沢山あるし、技術的な面での進化が目覚ましい。今回観た「トランスフォーマー」は、ひと昔前と比べてCGの不自然さというものをあまり感じさせず、そのCGモデルの細かさ、繊細さは本当に目を見張るものがありました。しかもそれらのロボットたちは、従来のアニメ「トランスフォーマーシリーズ」の雰囲気は残しつつ、有機的かつ生物的にも見えるいかにも「ロボット生命体」と言えるデザインになっているのです。

それをあそこまで激しく動かすのにどれくらいの時間がかかっているのだろうと感心してしまいますが、「その形ちゃんと車にトランスフォームするの?」というような外観に見え無くもない。それでも変形シーンで不自然な変形をしているようにはみえない。多分しっかりと計算されたデザインになっているんだと思います。

この研ぎ澄まされてきた技術や、日本なんかとは段違いであろう市場規模なんかを考えると、海外の映画に「ストーリーはシンプルでも視覚的インパクトがデカイ」そんな映画が多いのも納得させられてしまう。日本のような小さな国がアメリカにも負けない進歩を遂げたのも、そしてそれが繊細さにあるのも、文化の違いや市場規模の違いがあるんだろうなぁと漠然と思うわけであります。

これでもかと言わんばかりにド派手なアクションシーンを観ていると「あぁ、SFアクションってだから人気なんだよな」と改めて実感しいます。それを実現するのは日々進歩する技術あってのことなんだと思うと「やっぱり映画って究極の娯楽だよなぁ」と思わずにはいられません。

アニメ:トランスフォーマー

アメリカ人のように、昔からずっと好き! というシリーズではないので、トランスフォーマーの実写映画を観ても、アツくなるとまではいきませんでした。ただ、幼少期にトランスフォーマーのアニメをチラッと観た記憶がるので、ほんの少しは懐かしさは感じます。やはりそこで気になるのは、トランスフォーマーの主役機である「オプティマス・プライム」について。「おいおい「コンボイ」じゃねーのかよ」って興味無いながらにも思うわけです。

最近だとAsusタブレットで「TransformerPrime」という端末が「トランスフォーマー / Transformers」の商標権侵害していると玩具メーカーの Hasbro が訴えたと、どこかで見ました。その時「トランスフォーマーこと正義のロボット生命体『サイバトロン』のリーダーと言えば『コンボイ』という今迄の共通点は日本独自のものだったのか?」 と疑問に思ったので、ちょっと調べてみることにしました。これは多分ファンの人達からすると当然のことなのかもしれませんが、僕は調べるまで知りませんでした。

wikiをみると、こうある。

コンボイ(Convoy)とは、トランスフォーマーシリーズの日本展開で頻繁に登場する人物名または称号。

概要:最初にトランスフォーマーシリーズにコンボイの名が登場したのは『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』の総司令官コンボイである。英語名はオプティマス・プライム(Optimus Prime)。このオプティマスプライムの玩具はもともと日本市場ではダイアクロンのバトルコンボイとして売られていたものの流用であったため、トランスフォーマーとして日本に逆輸入される際にコンボイの名がつけられた。

via:Wikipedia

 コンボイが日本名だというのは予想できましたが、そもそもトランスフォーマー自体が日本発祥だというのは以外でした。産まれる前の事なので知らないのも当然ですが、でもなんだか納得できる気がします。今回の実写映画シリーズで吹き替えや字幕をあえて『コンボイ』にしなかったのは正解だと思う。

因にトランスフォーマーで日本名が使われていて、今回の実写映画で英語名になっている名称は他にもあるようで、それぞれの正義と悪の組織名も日本とは違うようです。最初は映画化に向けて名称をカッコよくしたんだと思ってました(笑)

正義のトランスフォーマー軍団は

悪のトランスフォーマー軍団は

となっています。

ここまで調べて楽しくなってきたけど、自分が全くトランスフォーマーに馴染みがないことが改めて分かりました。記憶にある作品と言えば、1987〜1988年に放送されていたらしい「トランスフォーマー ザ☆ヘッドマスターズ」という作品くらいです。これは微かに覚えているので、まず間違いなく観ていました。といっても僕が2才〜3才ということになるので、リアルタイムなのかどうかは定かではありませんが。

邦題と言えば

邦題といえば、洋楽曲の邦題も最近では見なくなりました。ネットも発達して、英語に触れる機会が増えてきたからということなのでしょうか。トランスフォーマーの例からすると歴史や時代を感じる事ができました。全く無くなったワケではないにしてもほぼみる機会の無くなった邦題。少し、寂しい気もします。

邦題の変化: 時代が進むにつれていわゆる横文字への抵抗がなくなり、いわゆる「大作」と呼ばれるもの、その方向での広報を意図する作品には独自の邦題を付けず、原題を単にカタカナ表記にしたものが登場するようになった。また、製作会社によっては邦題を付けることを禁止することを前提として上映契約を締結している場合もある。

via:Wikipedia

ガンダムの疑問

そういうことを考えていると、アメリカでの人気シリーズ「トランスフォーマー」と日本での「ガンダム」シリーズは似たようなものなのかもと少し思ったりしました。そう考えた時に思い出したのが、昔からの疑問。ガンダムは何故「GUNDAM」と表記するのか。ということ。ガンダムは兵器なので、銃を連想させる「GUN」にしたのか、それとも単純に逆輸入的に「GUNDAM」表記になったのか。

オプティマスプライム」を子供に分かりやすく「コンボイ」としたように。日本市場を考えると、子供向けにローマ字読みで「GANDAM」の方が分かりやすいのでは? と昔からの思っていました。まぁ子供の頃の疑問ですが……どちらがいいかと言われれば「GANDAM」なんてかっこ悪いので普通に英語読みで「GUNDAN」でいいんですが。

「機動戦士」にしたって、英語表記だと「MOBIL SUIT」と表記します。むしろ今となっては「機動戦士」の方が謎なので(劇中での戦術汎用宇宙機器「モビルスーツ」の意)機動戦士よりモビルスーツの方が自然なのでいいんですが。疑問に思うのは「MOBIL SUIT」という名称が初めて海外に進出したとき、英語圏の人はどういう印象を持ったのでしょうか?

「モバイルスーツ?」とか思わなかったんでしょうか? 「モービル」も「モバイル」も元々は同じ単語の読みが違うだけらしいので、同じく「機動性」という意味があるそうです。意味は同じ。つまり「モビルスーツ」は「モバイルスーツ」でもいいし、携帯端末は「モービル端末」でもいいということですよね? この考え方自体が日本的発想なんだろうなぁと思います。流通って奥が深いんだなぁ。というか和製英語の刷り込みってすげぇ! と。着地点無し…… では。